【家出経験者が語る】「まさか、これが虐待だったなんて」——“当たり前”が崩れた、あの一言

家を出て、一人で暮らすようになった今だからこそ、やっと言えることがあります。

あの家は、筆者にとって「孤独」で「感情も記憶も封印して生きる場所」でした。

でも、そこにいる間は、それが“普通”だと思い込んでいました。

目次

筆者の体験

私の育った家は、周りから見れば「仲のいい家庭」に映っていたかもしれません。
でも実際は、自分の感情がまるで存在しないかのように扱われる毎日でした。

家の中には部屋がいくつもあるのに、思春期を過ぎても自分の部屋は与えられず、寝る場所は両親の部屋の奥。
ひとりの時間も空間もなく、常に誰かの視線を感じながら暮らしていました。

トイレの中にいる間でさえ、10分経てば声をかけられ、ドアの外で「本当は他のことをしているのでは」と聞き耳を経てられていました。それがどれほど、思春期の心を傷つけたかわかりません。

些細なことで怒鳴り声が響くのも毎日のことでした。
私の誕生日に用意されたケーキが、両親の機嫌で庭に置き捨てられたこともあります。
大切にしていたものを玄関にばら撒かれ、無理やり頭を突っ込まれたこともありました。

でも私は、それすら「親だから仕方ない」と思い込んでいました。

「金食い虫」と言われれば、自分の欲しいものを諦めるのも当然。
交友関係を細かく報告し、何をするにも親の顔色をうかがいながら暮らすことが“当たり前”だと思っていたのです。

思春期になっても交友関係を報告し、1から10まで親の顔色をうかがいながら暮らすのが“当たり前”でした。
言葉の暴力も、時には手をあげられることも、子どもをしつける方法として当然のものだと信じ込んでいたのです。

むしろ、親の期待に応えられない自分に苦しんでいました。
自分の感情を後回しにしてでも親に気に入られるようにふるまうことが、私なりの生き延び方だったんです。

でも、自分の感情を無視し続けることはできません。

ひとりになる時間が許されなかった息苦しさ。
何の前触れもなく怒鳴られる恐怖。
欲しいものを諦めるたびに感じた寂しさ。
そして、身体の痛み——。

それまでは「自分が悪いから叱られる」「私はダメな子だからこうなるんだ」と思い込んでいました。
でも、周りの人たちの反応を通して、それが“異常”であり、虐待と呼ばれるものなのだと、やっと気づき始めたのです。

”異常”に気がついた後

気づいた瞬間、心の中はとても複雑でした。長年のモヤモヤに名前がついた安堵感。自分は悪くなかったという小さな希望。そして、親への怒りと、自分への哀れみが入り混じったような感情——。

でも、すぐに環境を変えることはできませんでした。だからまずは、信頼できる友人に話したり、インターネットや本で「虐待」について調べようになりました。
自分の体験と重なる言葉がたくさん見つかって、それが自分を肯定する手がかりになっていきました。
その言葉がどれほど心を救ってくれたか、今でも忘れられません。

私は少しずつ、自分の経験を受け止め、心の傷と向き合うようになりました。

トト

そして家を出ることに決めたんだ。勇気のいる決断だったけど、一生懸命走って家を出た、自由になった瞬間のことは今でも覚えてるよ。

筆者が皆さんに伝えたいこと

もし今、あなたが「生きづらい」と感じているなら、どうかその気持ちを無視しないでください。
あなたが感じている違和感は、きっと大事なサインです。
そして、あなたの「当たり前」が誰かにとっての“異常”かもしれないと、少しだけ想像してみてください。

話せる人がいれば、思い切って話してみてください。
話すことで、あなたの見ている世界が変わるかもしれません。そして、必要であれば、専門機関に相談する選択肢もあることを、どうか思い出してください。

あなたは一人ではありません。

私がそうだったように、気づくことから始まる未来もあるのです。

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